子宮から胎児を「誘拐」
子宮から胎児を「誘拐」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040605-00000253-jij-int
コロンビア版安達ヶ原。てゆーか、なんで母子ともに生きてんの!?
子宮から胎児を「誘拐」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040605-00000253-jij-int
コロンビア版安達ヶ原。てゆーか、なんで母子ともに生きてんの!?
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20040414ic29.htm
>>装着された患者は考えるだけでコンピューターに単純な指令を出すことが可能になるという
さらに将来には
・考えるだけでテレビのチャンネルを変えられる
・考えるだけでかわいい女の子とつきあえる
・考えるだけで世界征服ができる
等々が期待されます。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20040407i404.htm
何年か前にNHKの『世界わが心の旅』という番組で、宮崎駿がサン・テグジュペリの足跡を尋ね、フランスから北アフリカまで実際に当時の飛行機で飛んでました。ラピュタのタイトル曲はそのまんま『星の王子様』だし、番組の中の彼は子供みたいにはしゃいだり感慨深げだったり。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20040406i515.htm
日本ではおおっぴらに行われているわけではない、という肝心のところを
真似しなかったらしい。
>>女性が人前で裸体をさらすことがタブー視されている中国では
日本でもタブーだと思います。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20040407i503.htm
どうやって調べたんだろう。10年以上前のことなのに。
これがきっかけで全頭検査に弾みがつくといいのに。
これがレストランじゃなくて個人だと腸チフスメアリー。
アニメ版を最近まとめて見る機会があった(全13話。2月末で放映終了)。たいして期待もせずに見始めたんだけど、いろんな意味でものすごいアニメだった。
まず設定が非道い。舞台は現代(?)のイタリア。一家惨殺の生き残りで心身に障害を負った者、先天性の全身麻痺患者、児童売買の犠牲者、保険金殺人未遂の被害者等々、見捨てられた境遇にある少女らが福祉施策の名目で全国から選ばれ、ほぼ全身を機械の体に置き換える改造手術(!)を受ける。同時に「条件づけ」と呼ばれる薬物を用いた洗脳が施され、プロの暗殺者としての技術を心身に叩き込まれる。その際、改造以前の記憶は消える。少女らは社会福祉公社という名の政府の秘密諜報機関に所属し、指導者・教育者でもある担当官とペアで特殊活動に従事する。
こんなんで半裸に近い格好で元気にマシンガン抱えて走り回ってるならふつうの話(?)なんだけど、中身も外見も(ただし身体能力は強化されている)なぜか思春期のふつうの女の子だったりするので始末が悪い。担当官には絶対服従。というか、本能として担当官を護り、その命令に従うよう条件付けされているのだが、これが当人たちにとっては恋愛感情と区別がつかない(これが原因で予想外の事件が起きる)。結果、担当官に寄せる恋心を秘めながら顔色を変えずに銃・ナイフ・徒手空拳でターゲットを殺し、その人数を喜々として誇る、という構図になる。まんまハンターと猟犬の関係である。これはもう十分にやばい。さすがにこんなものが夕方のお茶の間で放送できるはずもなく実際深夜の放送だったし、倫理コードに厳しい海外で放送できるとは到底思えない。いや、べつに放送する予定はないみたいだが。
ただ、このように非人道的な設定にもかかわらず、描かれる話はじつに静謐かつ情緒的である。作戦行動中に傷を負うと、手術に耐えるため薬物を投与される。その他にも条件付けを変更・強化するたびに薬物が使用される。そのつど彼女らはいくばくかの記憶を失う。殺人技術を行使するとき以外はふつうの女の子であり、それなりに日常でつくられる思い出もある。そうしたものが蓄積されることがないというのは想像以上に残酷であることに改めて驚く。
担当官にもいろいろな人間がいる。少女らを「普通の女の子」として扱う者、殺人の道具としてしか見ない者、どう扱っていいのか迷う者。そうした違いがあるにもかかわらず、少女らは多少の差異はあれ担当官に強い心情的な結びつきを持っている(持たされている)ため、担当官によっては少女の忠誠心が報われない、といった悲劇的な事態にもなる。これがじつに哀れだ。作中ではアンジェリカ、エルザで顕著。
人間と犬、人間とロボットという組み合わせならまだしも、人間と少女らしきもの、という組み合わせが頭がくらくらするような異常な状況を生み出して見る者を混乱させていることは確かなのだが、加えてその状況に置かれた担当官と少女たちの心の動きが丁寧に描き出されており、それが大きな成功を収めている。全話通して見て、例の最終話を見終わった後はもう、呆然とするしかなかった。(あそこで第9がふさわしかったかどうかはともかく)近年まれに見る傑作、というかそれに語弊があるとすれば問題作であることは間違いない。とはいえ小説、映画の『バトル・ロワイヤル』が世に出たのだからこういうのもありだろう。傑作と言い切っていいかも。
作画、声優陣はもちろん特に音楽もよかった。作り手の意気込みがびんびん伝わってきた。原作を読むとアニメはほぼ原作を忠実になぞってつくられたことがわかったが、独自のエピソードがもりこまれていたり、より突っ込んだ描写が加えられるなど、原作の設定・ストーリーを押さえた上でより豊かな作品に仕上がっている。今後もどこにこれだけの魅力があるのか、何に心を動かされたのかを考えつつ何度かシリーズを通して見直すことになると思う。大変大変。
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ほ、ほしいかも……。見たところ膝がない。歩きはしないらしい。車輪で移動か。白黒のせいか、ちょっとパトレイバーを思わせる外観。ソニーの犬よりは格段に魅力的。動くところ見てみたいなあ。
たしかに、ふつうに見て挿入に気づくような映像はサブリミナル効果を狙ったものとはいえない。気づかないからこそサブリミナル(識域下)と呼ばれる。ただ、制作者側の意図が不明。もともとサブリミナル効果を狙った処理だとすれば放送基準に違反し世論の猛反発を受けるのは自明のことだし、そもそもサブリミナル効果が得られる手法ではないし、わざわざサブリミナル効果を狙った演出であると気づきやすい中途半端な時間挿入してるし。デメリットばかりでメリットがまったくないことをなぜやろうとしたのかさっぱりわからない。
サブリミナル効果はこんなエピソードとともに広まった。
そこで必ず”実例”として紹介されるのが、1957年にニュージャージー州フォートリーの映画館で行われたという実験であろうかと思われます。 代表的な説では、・・・上映された映画「ピクニック」の映像の中に、5秒毎に3000分の1秒だけ「コーラを飲め」、「ポップコーンを食べろ」というメッセージを入れて流したところ、コーラの売り上げが18.1%、ポップコーンの売り上げが57.5%も上がった・・・というものがある。 怪しい話−587:サブリミナル
# 3000分の1秒は誤記の可能性がある。300分の1秒だとしても通常の映画フィルムでは難しい。30分の1秒か?
本当だとすれば実に不気味。知らないうちに催眠術にかけられてしまうようなもので危険きわまりない。10年程前ブライアン・キイ等が著書『メディア・セックス』等でサブリミナル効果の危険性を喧伝し、当時はちょっとした流行語にもなった。音声や画像でも同様の手法が利用できるとされていた。
だが、いまではこれは都市伝説の一種と見るのが一般的になっている(詳細は上記サイトを参照。他にも同様の趣旨のページがいくつも見つかる)。学術的な根拠はまったくないというのだからびっくり。
ただ、一部ではいまなお科学的(「心理学的」?)にサブリミナル効果なるものが存在すると主張する向きもあるにはあるのだが、いまや圧倒的少数派。せいぜい怪しげな通販グッズの正当性を裏付ける程度の価値しかないらしい。
というわけで話題にはなってるけど嘘なんだよ、と一笑に付してしまえばいいのかもしれないが、正直いって「もし本当だったら」との危惧を感じていることを告白せざるを得ない。本当かどうかわからないことはリスクを勘案して対処する、というのがスタンス。わざわざ高圧電線の下に住もうとは思わないし(白血病発症率が上がるという調査結果があるらしい)、極端に人の道に外れたことをしようとも思わない(もしかすると本当に輪廻転生はあって、来世の境遇に影響するかもしれないし?)。
実際、サブリミナル効果のような効くか効かないかわからないような方法に頼るまでもなく、圧倒的な刺激と繰り返しによるメッセージの送出が多大な効果をあげることは間違いない。本当にサブリミナル効果なるものが存在するとしても、顕在的な刺激と繰り返しによるメッセージと比較すればその効果は些細なものにすぎないと考えるのは単純すぎるだろうか。もちろん、問題は効果の大小ではなくサブリミナル効果が選択の主体性を奪うことにあるのだが、それも程度の問題にすぎず、自分の行動の動機について日常どれだけ意識しえているのかをこそ考えるべきかもしれない。
なんのことはない。大手チェーンで食べられなくなったというだけで、牛丼自体が消えたわけではない。豪州産はともかく、値段は倍くらいになるかもしれないけど国産牛肉を使っている店のものは食べられるんだから。いままで大手チェーンが安い牛丼を提供していたからあえてメニューにはのせていなかった店でも、こうなってくると話題作りに国産牛肉を使用した牛丼を出すところがきっと出てくるはず。和牛畜養家も手ぐすね引いて待っているだろう。
気になるのはXデーを前に駆け込み需要に走った牛丼ファンの行動。狂牛病発生確認前に輸入された米国産牛肉なら絶対安心、というわけではない。たまたま狂牛病の牛が目視で発見されただけで、それ以前にも病気の牛が出荷されていた可能性はある。米国では「海岸で泳いでいてサメに襲われるのと同じくらいの確率だから」と消費者はほとんど気にしていないようだが、日本のファンも同様の考えに基づいて行動しているのだろうか。同じ論理でいえば宝くじなんかは確率的に金をどぶに捨てるようなものなのだから、彼らは絶対に買わないはずなのだが。おそらく仮に同じ100分の1の確率でも、不運は他人に(100分の1だから大丈夫)、幸運は自分に(100分の1だからもしかしたら)、というお気楽な論理のすりかえがあるように思えてならない。まあ、大きなお世話といわれてしまえばそれまでなのだが。
米国は日本に早急な輸入再開を求めているが、当の米国は日本での狂牛病発生以来日本からの牛肉輸入を禁止したままである。日本は全頭検査を実施し高度な安全管理をしているにもかかわらず、米国はそうではない。全頭検査は非科学的だというが、実際日本ではこれまで知られていなかった若い牛の発症が確認されている。米国は何を考えているんだか。
米国の牛肉輸出先の第1位は日本。実に4割を占める。以下メキシコ20%、韓国15%と続く。日本が最大の顧客だ。逆に日本の牛肉輸入の4割は米国産で2位。1位はほぼ同程度ながら豪州産である。これがストップしてどちらがより窮地に立たされるかは明白。政府には強い姿勢で交渉に望んでほしいものではある。
YOUNG YOUに連載中の岩館真理子のマンガ。第3巻が出た。ひとことでいえば妄想ラブコメ。『めぞん一刻』を知ってる人にはあんなマンガだといえばなんとなくわかりやすいかも。この雑誌、フォローしてるのはほかに『ハチミツとクローバー』だけなのだが、ご丁寧に隔月連載で両者は別の月である。並載してくれれば買うのに。
この作家のすごいところは、作品ごとに新境地を開拓するところにある。短編では「なんだこれ?」みたいな明らかな失敗作もあったりするのだが(もちろんそうでないものも多い)、長編は傑作揃い。どれを読んでもまずはずれがない。
特にここ数年は見るべき作品が多いのでうれしい。『うちのママがいうことには』『キララのキ』そして現在連載中の『アマリリス』。『うちの……』で片鱗を見せたお笑いのセンスが爆発。完璧なシチュエーションコメディを展開している。出てくる登場人物がほとんど親子兄弟姉妹あるいは親戚という呪縛からは抜け切れていないものの、それを補ってあまりあるキレのいい笑い。三谷幸喜もびっくり? ぜひNHKの夜11時台の帯ドラマあたりで取り上げてほしいものである。
今回読んだ中でわからない点がいくつかあった。
1)白雪兄と亜矢子さんはどこで知り合いに? お花の教室?
2)亜矢子さんが気にしていた「お花の先生」というのは白雪兄? 亜矢子さんが彼の顔を見ればすぐわかるはずだが……。桃田父の探す女性が亜也子さんであれば、お花の教室で会っているはずだから桃田父ではありえない。ヴォーノで「お花の先生」とその店が掲載されている雑誌を赤井に見せているのに何の反応もないことから、無関係の別人という可能性もある。
3)169ページでユミちゃんがクルマのなかでたんこぶをつくっている。これは何があったんだろう?
4)episode.18の表紙は桃田?(前髪揃ってないと別人にしか見えない)