土曜から降り始めた雪は見慣れた風景を一日にして白一色で覆い隠し、冬の到来を心のどこかで疑っていた人々――つまり、いまだに夏タイヤ(北海道用語?)をスタッドレスタイヤに交換していなかった自堕落で横着な人々(私を含む)――に厳しくも当然の現実を突きつけた。
スタッドレスタイヤとは 1)柔らかいゴムを使用し 2)各社が開発にしのぎを削る独自のトレッドパターンを刻んだ氷雪路面専用のタイヤである。スタッドとは爪を意味する。ちなみに野球靴の裏面にあるのはスパイクだが、サッカーシューズ裏面のそれはスタッドと呼ばれる。スパイクよりは鋭さがいくぶん少ないものを指すらしい。
スタッドレスということはスタッドがないということだ。ならばスタッドがあるタイヤもあって不思議ではない。実際、10年ほど前まで雪国ではスパイクタイヤが当然のように使用されていた。タイヤの表面に金属製の鋲を多数打ち込んで滑りにくくしたものである。スタッドタイヤではなくスパイクタイヤであるから、現在使用されている鋲のないタイヤはスパイクレスタイヤと呼ばれてよさそうなものだが、なぜかそうではない。
ちなみに、なぜか雪国では夏になるとスタッドレスタイヤのテレビCMが大量に流される。一般のドライバーが購入するのは秋から冬にかけてであるから、どうしてこの時期にと不思議に思う。今年も某メーカーのイメージキャラクターである織田裕二の顔を飽きるほど見た。おかげで『踊る大捜査線 The Movie 2』を見てもぜんぜん面白く感じられなかった。もしかすると因果関係はないのかもしれないが。
本題に戻ろう。スパイクタイヤとスタッドレスタイヤの性能の差はというと、これがお話にならないくらい違う。天と地、月と日本、ミトコンドリアと森下千里ほどの差がある。例えていえば、スパイクタイヤはスケートリンクをゴルフシューズを履いて歩くのに対し、スタッドレスタイヤはゴム長靴で歩くようなものである(凍結路面の場合。圧雪路面ではそれほど大きな差はない)。スタッドレスタイヤ導入当初は「こんなもん使えるか」「雪国の交通事情をわかってない。交通事故が急増する」「俺達が死んでもいいのか。人殺し」と激しい反発があったのも当然だといえる。
しかし、現在スパイクタイヤを使用するクルマはほぼ皆無である。なぜか。法律で禁止されているからだ。
実は禁止の背景にはスパイクタイヤによるおびただしい粉塵の発生があった。冬の路面といってもすべてが雪や氷に覆われているわけではない。場所や時期によってはアスファルトが露出している道路も当然ある。
加えて雪国の春は遅い。4月になってもまだまだ油断はできない。雪国の住人は降りしきる雪の中で鯉のぼりが力なくぶら下がる光景を何度となく目にしている。夏タイヤは圧雪・凍結路面で呆れるほど無力である。まずまともに走ることなどできるものではない。理想的な低ミュー路面上では誰もがパワードリフト、スピンターンの名手となる。タイヤ交換は重労働だ。ディーラー等に頼めば簡単だし費用もそう高くはないが、待ち時間をとられるし、何度も交換するのは現実的ではない。だから、冬タイヤを夏タイヤに交換するのはゴールデンウィーク前くらい、というドライバーが多い(嘘ではない)。
いきおい、古代エジプトではミイラの防腐剤にも使われた歴史を持つか弱いアスファルト路面に鋼鉄のスパイクが猛然と牙を剥くことになる。轟音とともにタイヤに埋め込まれた鋲がアスファルトを容赦なく削り、粉塵が宙に舞う。交通量の多い道路ともなるとこれが生半可な量ではなくなる。道路の脇に溜まる。洗濯物が汚れる。目が痛む。喉が痛い。鼻をかむとティッシュが黒く染まる。北国の春は風に吹かれて粉塵が街をすっぽり包む灰色の季節でもあったのである。
それだけではない。削られた路面は轍をつくる。轍はクルマのスムーズな通行を妨げ、事故・渋滞の原因ともなり、それを修復するため道路工事が増える。悪循環は果てしなく続いた。
スパイクタイヤによる公害は誰もが無視できない惨状をもたらした。そこで生まれたのが「スパイクタイヤの粉じんの発生の防止に関する法律」(平成2年6月27日 法律第55号)である。これによりスパイクタイヤの製造の中止、販売の中止、ついで使用が禁止された。こうしてスパイクタイヤは息の根を止められたのである(海外で生産されたスパイクタイヤを使用しているドライバーも少なからず存在する。もちろん違法)。
この措置により、確かに粉塵公害はなくなった。北国の春は粉塵とは無縁の季節となった。しかし、新たな問題が発生している。
交通事故は思ったほど増加しなかった。ゴム長靴を履いてスケートリンクでサッカーをしようとする者はいない。効きの悪いことが明らかなタイヤで走るドライバーは誰でも慎重になるものだ。
問題はツルツル路面だった。回転するスタッドレスタイヤが圧雪路面を文字どおり鏡のように磨き上げる。こうなると現代素材工学と高度な設計技術が生んだスタッドレスタイヤといえどもお手上げである。交差点で信号が青になってもタイヤを空転させるばかりで発進できないクルマ、坂道を登ることができず立ち往生するクルマ、道路から段差を乗り越えて駐車場に入ることができず、焦ってアクセルを踏み込むクルマ、赤信号で止まることができずに交差点をつっきってしまうクルマ等が続出する。こんな状況だから事故も増えて当然なのだが「思ったほど」ではない。みんなこうした事情は承知の上だから、車間距離を夏の3倍はとるし、法定速度を超える速度を出すことは滅多にない(逆にいえば夏は法定速度+20km/hは当たり前)。
先日の日曜日のことである。私はアパートの物置から昨シーズンに購入したスタッドレスタイヤ4本をクルマに積み込んで近所のディーラーへと向かった。もちろんタイヤを交換するためである。幸い混んではおらず(当地では雪が降ってからタイヤを交換しようとする人間は珍しい)、そこにあったauの新しいケータイのカタログなどを眺めて感心したり溜息を吐いたりしている15分ほどで作業は終了した。消費税込で1,050円。良心的である。私は礼を述べ、その足で某O市へ出掛けた。その途中、空気圧チェックの依頼を忘れたことを思い出したりもしたが、接地面積を高めるためにも少し低いくらいがいいのだと考えることにした。
着いた頃にはとうに日が暮れ、あたりは暗くなっていた。某所で年末ジャンボ宝くじを購入し砂を噛むような毎日に一抹の光明を見出したような多幸感――後で考えれば、無数にあり得る未来の状況のうち最も好ましいものが当然実現すると考える根拠のない確信及びそれから派生する視野の狭窄――に包まれていた私は激変するであろう日常生活と3億円の最も有利な運用方法に思いを巡らしつつ駐車場から道路へ出ようとクルマを回した。私の前には同じく道路へ出ようとしていた1台の車があった。ちょうど朝は7時に起きてクロワッサンとカフェオレの朝食を済ませ、偶然迷い込んできた人なつこい中型犬とともに出勤する人の列を横目にのんびりと散歩することを日課としようと決めたときだった。前のクルマが道路に出るタイミングが私の予想したそれとは若干ずれた。私は落ち着いてブレーキを踏んだ。
しかし、どうしたことだろう。クルマはそのままずるずると引きずられるように前方へとすべり続けた。ブレーキを断続的に踏むことを繰り返すポンピングブレーキ(私の愛車にはABSなどという怠惰な装備はない)を行い、ステアリングを左右に操作してグリップの回復を図った。効果はない。白いクルマはもう目の前である。
若干そうした操作が功を奏したらしい。私の愛車はやや左方向に向きを変え、右折しようとする前のクルマの左側に出つつあった。このままいけば接触することはない。私の脳裏に2台のクルマが何事もなく夜の街に消える光景が浮かんだ。
そのときである。無情にも車体が右側に流れた。凍結路面そして轍。スタッドレスタイヤ。愛車の右側面前部が前のクルマの左側面後部に接触した。それはひどく奇妙な感触だった。なかなか前に進もうとしないウシ(なぜウシ?)の尻を後ろからそおれ、と両手で押しやってでもいるような感触だった。
2台の車はそのまま右折し、路肩に停車した。中年のドライバーが降りて接触した場所を確認している。私はクルマから降りて声を掛けた。
「すみませええん。とまんなくって~」
ドライバーは笑顔を見せた。
「だいじょぶ、だいじょぶ。なんともないから」
相手の車の接触した部分はバンパーのゴムパーツだった。私の愛車には当然そうした伊藤家の食卓的な姑息なパーツ(意味不明)はないが、いまだけは相手のクルマにそれがあったことを感謝せずにはいられなかった。
「じゃね。気にしないで」
ドライバーは笑顔で去って行った。なんて気持ちのいい連中だろう(そのクルマに乗っていたのは彼ひとりだけだったが)。私は彼にとんでもないものを盗まれたような気がした(当然、私の心である)。私はずっと昔から彼を知っているような気がした(無論錯覚である)。
妄想を振り払って愛車の接触部分を見ると、塗装がやや剥げていた。以前ぶつけたところであり、今回の接触でそれが広がったのかどうかはわからない。被害はほとんどないといっていい。
私は運が良かったのだろう。その場で2,3万払っていてもおかしくはない状況だった。ごく軽い接触だったとはいえ、雪国の道路事情とそこに生きる人々のお互い様だよと相手をいたわる気質がこのような幸いな結果をもたらしたのは間違いない。以前、信号待ちをしている際に後ろから軽く追突されたことがあったが、そのときの私も彼同様、見た目に傷がわからないからだいじょうぶ、といってしきりに恐縮する相手を慰撫した。人生何が功を奏するか解らない。そのときの私の態度が今回のような結果をもたらしたのではないか、と私は信じる。因果応報。天網恢々疎にして漏らさず。一姫二太郎三なすび。私は大宇宙の因果法則に深く思いを致さずにはいられなかった。
その日は京極夏彦の『後巷説百物語』を購入するために出掛けたのだが、予定を若干変更してホームセンターへ向かい、金属の鋲を埋め込んだプラスチックのタイヤチェーンを購入した。10,000円弱だが、今回傷の弁償をしたかもしれないことを考えれば高いとは思わなかった。来週O市へ再び出るときはこれを装着してから来ることにしようと思う。O市の除雪体制のひどさは近辺の町村でもよく知られている。土木現業所が管理する国道、道道(北海道なので県道ではなく「道」道)はともかく、対象面積が広大で雪の捨て場がないためか、市街に入ると除雪というより大型車でそのまま踏み固めているのではないかと思われる。当分ツルツル路面がなくなることはないだろう。
※月曜日の新聞によると、そもそも除雪していなかったという。出動基準は積雪10-15cmであり、1) 6,7日の積雪は12cmほどだった、2) 降雪後半は雨に変わったから、というのがその理由らしい。しかし、国道・道道は当然の如く速やかに除雪が行われ、その差は歴然。厳しい冷え込みと絶え間ない圧雪によりスケートリンクと化した通勤ラッシュ時の市道はのろのろ運転のクルマで大渋滞となり、市役所には市民の苦情が殺到したのであった。
報道によれば市の除雪予算は4億円。除雪4回、排雪1回分だという。4回というのはあまりに少なすぎないかと考えがちだが(私の住む町ではもっとひんぱんに除雪車が走る)、意外とそうでもないらしい → お天気大捜査線
北欧諸国ではスパイクタイヤを全面禁止にすることなく、希望者はそれなりの負担金を払えばスパイクタイヤ装着が認められるそうである。適当にスパイクタイヤを装着したクルマが走ればツルツル路面もなくなる。粉塵公害は困るが、ツルツル路面も困る。我が国でもこうした方策が考慮されてしかるべきではないだろうか。
その日購入した本
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